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2009/11/1 ◎新体操とスキー平成21年10月31日(土) 名張市総合体育館ほか 快晴
『第21回岡森新体操クラブ演技発表会』
今年度の演技発表会では、娘Mたちの卒業公演を観戦した。
娘は、小学校2年生から新体操を始めて8年間お世話になった。
まだまだ県代表レベルには遠いが、少しは様になってきたようだ。
最後に卒業生7名の岡森先生へのメッセージが披露されたが、娘の
作文も思いのほか心のこもった文章だったのには少々驚かされた。
卒後はN高校新体操部に入ることを志望しているので、明日からは
悔いのないように受験活動にも取り組んでもらいたいと願っている。
『2009年度名張市スキー協会(スノーメイト名張)総会』
地元スキークラブの総会が、フレンチ・クウォーター・ラブで開催された。
スキー場以外で、大勢の会員が集合することができる貴重な機会である。
新着情報としては、今シーズンから全日本スキー連盟の指導員資格制度と
バッジテスト等の改正が行われるとのこと。(指導員ランクが4段階に変更)
「第4回三重県障害者スキー教室」への指導員派遣の依頼をしておいた。
【画像】 娘Mの個人演技 卒業生のメッセージ スキークラブ懇親会
2008/1/18 †13周年の祈り夫れ天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり・・・あの阪神大震災から
早くも13年が経過し、十三回忌を営まれたご遺族もおられることだろう。
17日未明、強烈な揺れを感じ反射的に乳児だった娘の上に覆い被さったのを鮮明に覚えている。
その後は、自分の技術を生かしてメンタルヘルスケアチームをつくり、ゴジラが踏み潰したように
被害甚大だった友人の町の避難所や仮設住宅に2年間通わせたいただいた。
私が最初に担当した被災者の方は、新聞などで見たことがある有名なオバアサンだった。 何と彼女は、関東大震災と神戸大空襲と阪神大震災を体験し生き残ったという凄い経歴を持つ、
茶道のお師匠さんである。治療が終わると、「いつも本当にありがとうございます」と自分に
合掌してくれた姿が想い出される。そのKさんも、今ではもう天国の住人となってしまった。
10周年までは、B町復興住民協議会から慰霊祭や復興夏祭にも招かれており、訪れる度に街の
風景は見違えるようになっていったが、心の平癒にはまだまだ時間と温もり必要だと感じている。
今日は改めて、西に向かい鎮魂と希望の祈りを捧げたい・・・ 2007/12/25 ●應援團事件について【明大応援団自殺 暴力ビデオも】
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=370061&media_id=2 <いじめ自殺>明治大応援団リーダー部の学生 先輩の暴力で (毎日新聞 - 12月24日) 明治大学の応援団リーダー部に所属していた理工学部3年の男子学生(当時21歳)が、 部の先輩から暴力を受け、今年7月に自殺していたことがわかった。
大学の調査委員会には暴力行為を撮影したビデオがあるとの情報も寄せられており、
同委はさらに調べを進め、来年2月にも最終報告をまとめる予定だ。
明大広報課によると、学生は7月4日に自殺をはかり同月15日に死亡。 クラブは今年1月に辞め4月から大学も休学していた。
大学は自殺直後に調査委を設け、部員らに聞き取り調査した結果、
「社会通念上許されない、暴力を伴う指導があった」ことを確認した。
このため9月下旬にリーダー部を無期限の活動停止処分とし、学生の遺族にも謝罪した。
広報課は「応援団についてはさまざまな情報が以前から寄せられていた。 ビデオを入手して詳しく調べたい」と話している。
明大応援団は男子学生でつくるリーダー部とバトン・チアリーディング部、吹奏楽部の3部から 成り、体育会クラブの公式戦の応援を行っている。【山本紀子】
mixiの関連日記とコメントを一気に読んで、多くの足跡を残してしまった。 母校は違えど、25年前の封建的な應援團OBとして深い憂いを禁じえない。 メディア報道は、社会通念という大義の元で物事の本質を如実に表現 できていないものが多く、記事だけでは判断材料が少なすぎるため、 現段階での軽々しいコメントは差し控えたい。 ただ、関係者には真実を追究しそれに応じた責任を全うした上で、 本件の教訓を未来に継承してもらいたいと願うばかりである。 お亡くなりになった元應援團員のご冥福を衷心よりお祈りします。 2007/11/30 ★選挙慰労会(長文)2007.11.23.(祝) K市内ZA・WATAMI 晴れ
あの市長選挙が終了して1ヶ月近く経った3連休の金曜日に、K市内の坐・和民で「選対スタッフ&ボランティア
慰労会」が行なわれた。今回は、事情があって一部のスタッフは残念ながら参加できなかったが、ウグイス嬢
や外国語スタッフまで30名以上の出席があった。ほとんどが先月知り合った人ばかりだったが、密度の濃い
1ヶ月を共に戦い苦労体験を共有することができたお陰で、仲間と言えるような存在になっている。
しかし、選挙期間中はそれぞれの役目に集中していたため、お互いのプライベートについては知らないことの
方が多かった。ここへきて初めて、仕事中とは違う一面を垣間見たり個人的な話題について語り合ったりも
できたが、多くの人と話すには限られた時間は余りにも短すぎた。
2次会のシダックスには出席者の半数が流れ、かなり弾けた雰囲気の中で時間が経つのも忘れて楽しみ、
実際に終電車を逃してしまった。1番歌が上手かったのは、久しぶりのカラオケだという候補者夫人の
Yちゃんであり、意地になって挑戦したが誰も彼女の点数を上回れなかったこと。
固いイメージのあったO後援会長やM選対幹部が、実は相当の*好きであり、自分とも意外に話が合うこと。
セレブマダムSさんは、真面目に見えて意外と過激(?)であったこと。酒飲みに見られるが実は全くの下戸
(眼疾によりドクターストップ)で、甘党だったミスターHのこと。等々、この慰労会に出て初めて知り得た
新情報の数々を、このブログに書いてしまって良いものだろうか!?
解散したのが午前1時過ぎという訳で、N県に知り合いは多いが今から世話になるには少々大人気ない刻限だ。
どうしたものかと思案していたら、選対幹部のM君が「ウチで良かったら泊まりに来ますか」と声をかけてくれた。
お言葉に甘えてN市までタクシーで移動し、彼の新築一戸建てに宿泊する初めての客となった。
同じN市でもこちらの方が随分と暖かいなあと感じながら、明け方近くまでロレツの回らないM君と男同士の話に
花を咲かせた。翌朝、仕事があるM君を迎えに部下がやって来るのだが、その時ちょっと私に演技をして欲しい
との彼からの提案があった。ピンポ~ン、ドアを開け標的の顔を暫く見つめてから「おい、お前は誰じゃ・・・
休みの朝早うから何の用や・・・何~保険、保険なんかに用はないんじゃ・・・舐めとんのかこらぁ!」
(^^;)早朝ドッキリの被害者である彼の部下がフリーズしていく様子が見て取れる。
街宣の要所だったY駅に1人立ち思ったこと・・・さて選挙仲間たちとは次の段階の付き合いがスタートした。
候補者は4年後に向けての抱負を語ったが、まだ第一障壁である家族の説得にも成功していないようである。
今までは選挙運動という共通の目的があったが、これからは何を求心力としてつながっていけるのか、
はたまた過去のアルバムの1ページとなってしまうのか?
本気で来る者は拒まず本気で去る者は追わず、本気を見極めるのが自分の掟。
2007/10/31 ★4年後に向けて2007.10.27~28.(日) K市各地 晴れ
選挙戦最終日から投票日にかけて、目まぐるしく時間が過ぎていった。
最後の街宣はY駅前で行なったが、現職陣営と鉢合わせになり緊迫した 局面を迎えた。A陣営から時間と場所を譲るように要求されたが、我々は 予定を変更せずに駅前演説を敢行することにした。暫くは不穏な空気に
支配されたが、やがて相手は諦めてY駅南側に移動していった。
ホッとしたのも束の間、我が候補者の声が潰れて演説が困難な状態に なってしまった。止むを得ず、急遽自分が応援演説をすることになり、 全くの即興弁舌だったが、脳裏に浮かんだ台詞を熱く叫び続けた。 「・・・明日は皆様の大切な一票をどうかYに投じてやってください!!」 かつてない程の素人手作り選挙ではあったが、我々のできることは全て
やり尽くしたという充足感があった。支持者の方々と一緒に開票速報を 見つめながら、低い投票率と当確接戦そして我々に対する厳しい結果を、 真摯に受け止めていた。候補者は次回に向けての新たな決意を語り、 最後に素晴らしいスタッフ達と感謝の気持ちを込めて円陣を組んだ。 翌日皆が去った夢の跡で後片付けを手伝いながら、明日からの日常生活 への非現実感と一抹の寂しさ・・・4年後の我々に想いを馳せていた。 最終街宣(近鉄Y駅前) 開票速報(選挙事務所) 2007/10/22 ★出陣式~2007.10.21.(日) Y選挙事務所 秋晴れ
昨日は、K市長選挙と市議補欠選が告示された。 Y選挙事務所でも、盛大に出陣式が行なわれた。 候補者Yのセールスポイントは、環境先進と教育再生をテーマとする NPO組織の代表者として、完全な無所属で旧来のしがらみがない 大胆な政策を実行することができる若さと情熱である。 私の後輩が所属する和太鼓チームMが出陣太鼓を打ち鳴らし、我々と 一緒に洋大で中国~韓国に派遣された講師のW氏(元HNKチーフ アナウンサー)の来賓挨拶があり、選対スタッフを代表して自分が 結団の言葉と本物のエール(H大学応援団第14代副団長)を送り、 手作りの選挙戦という特色が良く現れた出陣式となった。 この出陣式の模様は、21日朝刊のN新聞一面などに掲載された。 投票日までの1週間はほとんど泊り込みで、文字通りハードな戦いの 場が始まる。我々の一日の行動は、街宣活動(街宣車・自転車・徒歩) とミニ集会の繰り返しである。そのためには、有効な街宣ルート作りと、 ミニ演説会への動員が一番重要な仕事となる。 「K市長候補のYでございます。**町の皆様へご挨拶に伺いました。 若さと情熱で市民のために頑張ってまいりま~す!!」といった台詞
にも慣れ、ようやくスタッフ同士の仲間意識も芽生えてきた。
和太鼓演奏(M太鼓団) 結団の言葉(ミスターH)
2007/9/15 ★市長選挙出馬!2007.9.11.(火) 奈良県K市 曇りのち雨
K市長選は、10月21日が告示で28日が投票である。 4選目を目指す現職(自民系)が本命で、市外選出の県議(民主系)が対抗と見られている。 K市の未来に夢をつなげるために、第3の男として出馬することになった。
県下初となる(社)まちづくり国際交流センター理事長として、NPO活動を続けている私の同級生
Yを応援することにした。彼とは、近畿青年洋上大学のリーダーとして中国・韓国を訪問するなど、
国際交流と青年育成の活動を10年以上共にしてきた。
この日はK市に35年間住んでいた私に、主な知人を紹介してもらいたいということで彼と知人宅を
回ったが、昼間のアポなしだったにもかかわらず、全て本人と直接会えるという幸運な1日だった。
久しぶりに里帰りしたついでに、飛鳥寺の近所で茶店をやっている友人を訪ねてみた。
日本人の故郷のような明日香村に相応しい、私好みに昭和の香りのする店である。
落ち着いた空間に癒されながら・・・不惑を過ぎた男3人が世迷言を呟き合っていた。
後援会事務所開き 飛鳥茶論(携帯画像) 2006/10/3 【長月の行事まとめ】9月5日(火) イタリアンレストラン小麦屋(名張市) 晴れ
学園山手治療院に通院されているK先生(大学教授)・その娘さん(大学助教授)&私の
家族で夕食会を行なった。娘さんへの結婚相手を紹介という難題を頼まれたのだが・・・
9月10日(日) 三重県鍼灸会館(津市) 晴れ
三重県障害者スキー協会の入会オリエンテーションを行なった。
本会初となるクロカンのS選手(Lw6/8 片上肢障害)と、医学部出身のアルペン
K選手(B1 全盲)が、「バンクーバー2010パラリンピック」を目指すことになった。
9月16日(土) 名張市立T小学校 曇りのち雨
6年生の娘にとって小学校最後となる運動会を参観した。
生憎の雨天により、演技種目(組み立て体操)のみ行なわれ競技種目は延期となった。
9月17日(日) 久宝寺緑地公園運動場(八尾市) 晴れ時々曇り
「秋季中日本グランドソフトボール大会」に出場した。
予選リーグは山梨県と大阪市に勝ち、決勝トーナメントで京都府に破れ第3位となる。
9月23日(土) 神戸クリスタルタワー 晴れ
「近畿青年洋上大学同窓会2006総会」が開催された。
幹事県が徳島県から兵庫県に引き継がれ、3順目(2府7県)がスタートした。
主な事業計画:総会 役員会 雪上の集い 阿波踊り洋大連など
9月29日(金) 三重県身体障害者総合福祉センター(津市) 晴れ
三重県障害者スポーツ協会の第3回専門委員会に出席した。
第1回の「三重県障害者スキーキャンプ」は、少人数による事業演習の形態で実施する。 2006/8/28 20年目の夏・・・別れの祈り平成18年8月27日(日) 津市内 曇
「第8回近畿青年洋上大学」で、中国に出航してから20回目の夏が巡ってきた。
今月に入ってから、 Gコース13班の青年リーダーであったNリーダー(50歳)の
訃報が届いた。 ちょうど昨夏の熊野花火大会では、11年ぶりにリーダーと再会
できたばかりで、その時はこんな別れが待っているとは想像すらできなかった。
自分が尊敬できる数少ない先輩だっただけに、その喪失感は小さくはなかった。
15回洋大では、私もリーダーとして2度目の乗船を果たし、先輩から受け継いだ
洋大の伝統を500名の後輩に引き継ぎ、OB会活動も20年続けることができた。
取り急ぎ当時の班員達に連絡を回し、昨日は大阪のF君と伊勢のMさんと共に
津市のご実家へお参りに伺った。初めてお目にかかったリーダーのご両親は
我々を歓迎してくださったが、長男を若くして亡くされた辛さは伝わってきた。
緑豊かで閑静なお墓の前では、読経代わりに合唱団に所属していたリーダー
から伝授された歌を捧げさせてもらった。一期一会の想いを胸に刻みつつ。
「サリマライズ」(旧友との再会を喜ぶ歌)♪我が元離れ去り行ける懐かしき友よ
今再び帰り来たる我らの元へ 嗚呼懐かしき哉いざ歌わん・・・ 2006/5/22 第二の故郷へ2006年5月20日(土) 奈良県橿原市 晴
「奈良県青年国際協会2006総会」と「磐余拳剛会平成18年度総会」に
出席するため、久しぶりに第二の故郷である橿原市を訪れた。
まず、朝からは橿原オークホテルで奈青協(NYIA)総会が開催された。
15年続いた奈良県委託事業であるユースアミティ・イン・ナラが昨年で
終了したため、今年度からは新たな主催事業を企画することになった。
総会後の懇親会での雑談で、自分の存在が無意識であっても他に影響を
与えることもあるという話題があった。(もし私がいなければ今の結婚相手
とは99%巡り会っていない人:O夫妻 T君 M君 T君 Tさん S君)
夜は、八木の宴で拳剛会(少林寺拳法磐余道院拳士会)総会が行われた。
初顔合わせの会員は今回6名もいたが、その中で橿原の治療院に通院して
いたという私の古い患者さんだった女性がいたので、お互いに驚きあった。
会合の合間にはかなり空き時間があったので、自分が勤めていた鍼灸院を
表敬訪問した。現在はNPO法人の介護支援センターを本業にされている。
私がいた頃は、まだ赤ちゃんだった院長の娘さんと10数年ぶりに再会したが、
今では看護師を目指す19歳の女性に成長しており不思議な感じがした。
「**のおっちゃんは44歳には全然見えへんわ」・・・何か喜んでしまった。 2006/1/17 11回目の祈り†阪神大震災の復興支援活動としてメンタルヘルスケアチームをつくり、
灘区の避難所や仮設住宅にて鍼灸マッサージ治療を2年間続けた。
初のお相手は90歳を超えたお茶の先生だったが、いつも有り難いこと
だと何度も手を合わせておられたKさんも、今では天の住人である。
(日本で唯一であろう関東大震災と神戸大空襲のトリプル被災者!)
当時は、まるでゴジラが踏み潰したかのようだったB町も、住民たちの
頑張りによって見違えるように活気のある街づくりが実現された。
その頃を偲びつつ、公園に立つ慰霊碑が見守る町に向かって黙祷・・・ 2005/11/12 子供たちに何を語ろう先日、地元の小学校5年生(娘のクラスも含む105名)に人権学習の講演を行なってきた。
以下のような内容を企画したが、子供たちの心の垣根を低くする好機になれば幸いである。
中日・毎日・産経・伊勢新聞の取材あり。(11月10日三重版に掲載予定)
*****小学校5年生 人権学習要項
日時:2005年11月9日(水) 13:30~14:15(5限目)
場所:*****小学校体育館 講師:Mr.Hyogo(三重県障害者スキー協会会長) N氏(日本盲人会連合青年協議会長) 目的:児童と障害者の触れ合いを通じて、心のバリアフリー化という芽を育てたい。 内容:下記参照 【進行内容】事前にスキー活動とグラソフ紹介のビデオを生徒に見せておく。
①司会の挨拶(担任の先生) 自己紹介(H N) 13:30~13:35( 5分) ②子供たちに伝えたい言葉(H) 質疑応答(残り時間) 13:35~13:55(20分) ③ブラインド世界の体験(N H) 13:55~14:15(20分) ガイド体験(歩行介助 各クラス2名) グランドソフトボール体験(バッティング 各クラス1名) 「君たちに伝えておきたい3つの言葉」
【1】人はみな違うということを知り、そして認め合おう!
老若男女・健常者・障害者など、人間には様々な個性があるから面白いと思いませんか? 【2】世界で一番大切なもの・・・それは貴方の尊い命!
貴方の家族が健康で仲良く暮らすこと・・・地球の豊かな環境と平和な世界の実現に つながっていると思いませんか? 【3】自分の夢を見つけよう。追い続ければきっと叶う! 可能性の限界に挑戦する心は、大いに自分を成長させてくれる。 これからも一緒に夢を語り合っていきませんか? 2005/10/31 NPO後輩の来訪昨晩、奈良県青年国際協会(GYN)のM会長が初めて我が家を訪れた。
入会して18年、今でも後輩に頼ってもらえるのは本当に嬉しいことである。
会務に関する相談にでも来たのかと思ったが、彼の実家が**市内なので
ユースアミティ・イン・ナラが終わってから一度立ち寄りたいと思っていたようだ。
時期的に良い機会なので、奈青協の将来の方向性について色々と語り合った。
近い将来に県青少年課から自立するために、奈青協ならではの長く続けられる
根幹事業を企画して、国際交流を通じた青年育成に関する活動により奈良
県民に寄与する・・・楽しいイベントをやることが目的ではなく、その活動を推進
する中で仲間と楽しむ感性を自然と養うことが肝要ではないだろうか。
帰り際に、(15年前の)会報「グローバル」創刊号を彼にプレゼントして別れた。
※ユースアミティ・イン・ナラ(国際交流大和路ふれあい事業):奈良県から委託され、
奈青協が主管するグローバルイベント。奈良県在住の外国青年と大和の文化体験を
共に行なう宿泊交流事業で、過去15年間の参加者は1000人を超えている。 2005/9/22 青年団体05総会「近畿青年洋上大学OB団体連合会2005総会」報告
2005.9.17.(土) 兵庫県民会館 議長:K・N氏(三重県22回)
【議事の特記事項】
①新年度は、会員の開拓を目的とする連合会事業として、洋大
スキーツアー(2月)&阿波踊り洋大連(8月)を計画する。
②年会費は、昨年度値下げした通り一団体5千円の現状維持とする。
(京都府OB会より、年会費を0にして参加費を随時徴収して
もらいたいとの要望があったため、審議を行なった。)
③役員改選により、事務局が三重県から徳島県に引き継がれ、
新会長にはJ・T氏(徳島県22回)が就任した。
④定例役員会の開催は、原則として年2回から年1回とする。(6月) 幹事県であった三重県OB会には「1年間本当にご苦労様でした」、
次の徳島県OB会には「新事業の成功を大いに期待しています」
という言葉を送りたい。私は顧問として、役員から相談があったとき
には可能な限り参上する所存です。それでは来年まで再見! 2005/8/23 ▼鎮魂の夏祭2005年8月20~21日(日) 神戸市~奈良県 晴~曇りのち雨
20日は灘区琵琶町に、「阪神大震災10周年琵琶町夏祭」のお手伝いに行った。
震災により61名もの尊い命を失った琵琶町は、縁あってメンタルヘルスケアのために
鍼灸マッサージの治療を2年間続けた、我々にとって思い入れの強い場所である。
一応MLで情報は流したが、今年は遂に洋大からの参加は私1人となってしまった。
(6年前に東大生の取材に協力した)被災地救援に関する論文がようやく完成した
ようで、現在は日本女子大の助手をしている女性から手渡された。ご苦労様!
21日は奈良県身障センターで、「グランドソフトボール審判研修会」が開催され、
三重+愛知・奈良・兵庫・三重+京都の4チーム対抗戦に出場した。
この事業は審判育成が主な目的なので、我々は実戦講習に協力するという形で
練習試合を行なった。今年も雨天中断となったが、愛知との混成チームのように
好敵手と組む機会は少ないので、それなりに有意義であり楽しむこともできた。
※ヘッドスライディングでまた右肩を傷めてしまった。(6打数3安打 2刺殺) 2005/8/16 ∞世界平和の祈り今年度は、1月17日「阪神大震災10周年」、8月12日「日航機事故20周年」、
8月15日「終戦60周年記念日」という祈念すべき出来事をもつ年回りである。
本日は、橿原神宮の若桜友苑を訪ね、「十三期甲種飛行予科練」「空母瑞鶴乗員」の
殉国之慰霊碑の前に立ち、大戦終結60周年の黙祷を捧げてきた。
橿原神宮奉賛会の世話人のオジサンが、慰霊公苑の成り立ちなどを語ってくださり、
静かな杜の中にも後世に伝えるべき、身の引き締まるような氣が満ちていた。
先の大戦により失われた多くの尊い命に対し衷心よりご冥福をお祈り申し上げると共に、
明日の世界へと続く平安の実現という強い願いを新たにしつつ・・・合掌!! 2005/6/3 ★青年団体の集会2005年5月28日(土) 奈良県文化会館 三重県人権センター 晴 「奈青協17年度総会」と「洋大連合会役員会」が同日開催されたので、 午前中は奈良市に午後からは津市(三重主管)へ向かうことになった。 奈青協の方は、役員改選により初めて海外派遣OBではなく一般会員の MM君が12代目会長となり、活動を縮小して存続することに決まった。 連合会の方は、公益事業を主催することはまだ難しいのでまず9県同窓会 のネットワークの強化から始めるために、役員MLを作り直すことになった。 連合会総会は、兵庫県民の船の出航に合わせて9月17日に神戸で開催 することになったので、多くの洋大生に同窓会を兼ねて参集してもらいたい。 翌日は、対面にある身障センターでグラソフの練習があり都合が良いので、 そのまま津市に泊まることにした。本日の雑感としては、どこの組織でも 青年の覇気の低下が共通の課題であると再認識させられたことだな。 ※近畿青年洋上大学OB団体連合会:近畿2府7県の海外派遣事業として、 24年間続いた船で中国を訪問する事業に参加した団員1万人が、事後 活動等を行なうために設立した各府県OB同窓会の連合組織。 2005/3/8 NPO組織運営の窮状今日は、障害者スキー以外の青年育成NPO活動についての話題です。 先日、奈良県青年国際協会の会長から今後の方向性に関する相談があった。 本会も関連する海外派遣事業が全て終了してしまってから、人材不足と 活動意欲の低下に悩まされ、ついに存亡の危機を迎えているようである。 行政からの助成金の関係で、新年度も例年並の事業をこなす責任はあるが、 17年度の総会で本会の解散も含めた対応策を協議したいとのことであった。 36年の歴史と1500名以上の会員を誇った奈青協への思い入れは、 20年近く関ってきて誰にも引けを取らないぐらいであると自負している。 しかし、現役の役員に運営を託した以上は、彼らの選択や決断を最大限に 支持することが私の務めといえるだろう。5月の重要な総会では、役員全員の 正直な気持ちを全会員に正攻法で伝えて、最後に一緒に悩んでもらえるように したらどうかということを、K会長にアドバイスしておいたのだが・・・ 2004/12/15 ★晩秋の伊賀路平成16年11月23日(祝) 名張市赤目 快晴 先月の話になるが、三重県洋大OB(12回生)のM夫妻が名張に 遊びに来た。奥さん(我妻と同名のJさん)は、学園山手治療院の 患者さんでもあるため、まず始めに私がマッサージ治療を行なった。 それから、M君の車に3人が同乗して赤目四十八滝に向かったのだが、 今年一番の混雑だったようで現地は観光バスも多くかなり渋滞していた。 何とか赤目滝に近いパーキングに駐車することができたので、商店街の 適当な食堂で昼食(松茸定食)をとってから、入口にある山椒魚センター の見学と約10年ぶりとなる四十八滝巡りを行なった。・・・(中略)・・・ 中間地点にあたる千手滝の茶店で、甘酒とおでんを注文してマイナスイオン に満ちた晩秋の紅葉を楽しんだ。子供の頃に一番奥の滝で素っ裸で泳いだ 記憶があるが、今でも遊泳禁止ではないようなので真夏に再訪したくなった。 余談ではあるが、Jさんは爬虫類系が好きという奇妙な趣味があるようで、 早速帰り道の土産物屋でオオサンショウウオの箸置きを購入していた。 M曰く、「常時2人で行動しているとマンネリ化してしまう」とのことなので、 夫婦に同行したが・・・それなりに彼らの刺激剤になったのだろうか!? 2004/11/1 ▼地震ボランティア世界青年の船MLのメールが、洋大同窓会MLに紹介されたものです。 > <以下、転送> > 今月23日に発生した新潟中越地震のボランティアで > 現地入りしている方からの情報です。 > 小千谷の情報のブログを始めました。 > 憤りの声をお伝えしていきます。 > (このblogは、現地からの電話を友人が代理アップしたものです)。 > あなたにもできること、たくさんあります! |
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